沿革
明治38年 (1905) | 臼谷喜代枩 臼谷毛織工場創業 平織5台で綿織物(綿毛布・肩掛製織)を始める |
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大正4年 (1915) | 初めて輸出 インド向け綿毛布3万枚の引き合い 以後5色毛布はアフリカまで輸出された |
大正6年 (1917) 3月10日 |
大津織物仕上合資会社設立 臼谷喜代枩 代表社員に就任 原糸から紡毛糸、紡毛糸から毛織物、さらに染色機を入れ仕上加工までの一貫工程を作った また、毛布の染色整理加工・羅紗織りを始める |
大正11年 (1922) | 鉄製織機を導入 泉大津で初めて力織機の運転を始める |
昭和9年 (1934) | 深屋毛織工場と臼谷毛織工場を大津織物仕上合資会社に合併し、大津毛織合資会社に商号変更 従来の毛織物仕上加工のみの業務から製織~整理加工に進み、自社製品「紳士紡毛カシミアオーバー」を製造販売する |
昭和22年 (1947) | 紡毛機の導入 紡毛紡績工場を設置 紡毛糸の自給を計り、紡績ー製織ー染色整理加工と毛織物製造の一貫作業を完成 |
昭和26年 (1951) | 株式会社に組織を変更 大津毛織株式会社に商号変更 臼谷喜代枩 代表取締役社長に就任 |
昭和28年 (1953) | 社歌制定 |
昭和32年 (1957) | 輸出毛布生産 |
昭和36年 (1961) | 臼谷喜代枩 代表取締役会長就任 深井弥之助 代表取締役社長就任 |
昭和38年 (1963) | 染色整理部門を独立させ大津整理加工株式会社設立 |
昭和39年 (1964) | 合繊分野進出 繊維総合メーカーとして確立 |
昭和41年 (1966) | 大津整理加工㈱の業務を吸収合併 臼谷喜一 代表取締役に就任 |
昭和42年 (1967) | タフティングマシン機導入 タフト毛布生産の始まり |
昭和46年 (1971) | キュースター社の厚地用連続捺染機導入 廃水処理装置設置 カールマイヤー社のラッセル機導入 |
昭和48年 (1973) | 織布部門を愛知県一宮に移設 テキスタイルセンター設置 |
昭和49年 (1974) | レジャーニープリント機導入 |
昭和51年 (1976) | 活性汚泥方式廃水二次処理装置を導入 |
昭和54年 (1979) | チンマープリント機導入 |
昭和57年 (1982) | カラーマッチング機導入 |
昭和59年 (1984) | 城村芳英 代表取締役に就任 |
昭和60年 (1985) | 中央研究所開設 |
平成5年 (1993) | テキスタイルセンター(尾西)増設 |
平成7年 (1995) | 上海金山大津毛紡織有限公司設立 |
平成17年 (2005) | 臼谷喜世彦 代表取締役に就任 |
平成19年 (2007) | 経済産業省近畿経済産業局より第一号として地域資源活用事業の認定を受ける(紡績事業) |
平成26年 (2014) | テキスタイルセンター 原反織機工場稼働 |
平成27年 (2015) | J∞QUARITY(日本品質)の認定企業となる |
平成28年 (2016) | 最新型カラーマッチングシステム導入 |
平成30年 (2018) | 丸編機導入 ニット内製化開始 仕上加工部 第三工場稼働 |